?> 最終更新日:2025年3月16日 作成日:2019年1月13日 | コメント(0)
湯島の神社仏閣 妻恋神社(つまこいじんじゃ)恋愛成就・縁結び・良縁にご利益〈東京都文京区湯島〉
- 妻恋神社(妻戀神社)(つまこいじんじゃ)
- 初夢に良い夢を見れる吉夢(よいゆめ)
- 恋愛成就・縁結び・良縁にご利益
- 末広町駅徒歩5分、御茶ノ水駅徒歩6分、湯島駅徒歩7分
東京都文京区湯島3丁目にある「妻恋神社(妻戀神社)(つまこいじんじゃ)」は末広町駅徒歩5分、御茶ノ水駅徒歩6分、湯島駅徒歩7分の場所にあります。
妻恋神社の創建年代は不詳ですが、平安時代にはすでにこの地に神社があったと言われています。江戸時代には「妻恋稲荷」と呼ばれ、「関東総司稲荷神社」「稲荷関東惣社」と名乗り、王子稲荷神社と並んで多くの参詣人を集めていました。また、日本七社(日本七稲荷)のひとつです。
神社名の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のおり、三浦半島から房総へ渡るとき大暴風雨に会い、妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)が身を海に投げて海神を鎮め、日本武尊の一行を救い、その後、東征を続ける日本武尊が湯島の地に滞在したので、郷民は「日本武尊」の妃「弟橘媛」を慕われる心をあわれんで「日本武尊」と「弟橘媛」を祭ったのがこの神社の起こりと伝えられてます。その後、稲荷明神(倉稲魂命)が合祀されたそうです。
御祭神
日本武尊 (やまとたけるのみこと) |
第12代景行天皇の第二皇子で、神格は「武神」「軍神」「国土神(農業神)」です |
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弟橘姫命 (おとたちばなひめのみこと) |
日本武尊の妃であり、その深い愛情と献身の物語が伝えられています。 |
倉稲魂命 (うかのみたまのみこと) |
稲荷神として知られ、穀物の神であり、農業や商売繁盛の守護神とされています。 |
ご利益
恋愛・縁結び関連のご利益
恋愛成就 | 妻恋神社の名前の由来にもなっている「妻を恋い慕う」気持ちから、恋愛成就のご利益があります。 |
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縁結び・良縁 | 夫婦神が祀られていることから、縁結びのパワースポットとして知られています。 |
夫婦愛を深める | 既に結婚している夫婦の愛情を深めるご利益があります。 |
家庭関連・仕事のご利益
家内安全 | 食物を司る神様のご神徳から、家内安全のご利益もあります。 |
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五穀豊穣 | 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が祀られていることから、農業や食物に関するご利益があります。 |
商売繁盛 | 稲荷神社としての側面から、商売繁盛のご利益があります。 |
出世開運 | 社名から連想される夫婦や恋愛だけでなく、出世開運のご神徳もあります。 |
その他のご利益
武運長久 | 日本武尊が祀られていることから、武運長久のご利益があります。 |
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難局打開 | 日本武尊は難局打開の神とされています。 |
火防守護 | 火事から守護するご利益もあります。 |
授与品については通信販売も行われているので、妻恋神社Webサイトの授与品のページをご覧ください。
妻恋神社の周辺には有名な神社である神田明神と湯島天満宮があります。神田明神からは徒歩約7分、湯島天満宮からは徒歩約10分の距離にあり、観光の際にも立ち寄りやすい場所です。
吉夢(よいゆめ)
妻恋神社では、初夢の縁起物として「吉夢(よいゆめ)」が授与されています。これは、枕の下に敷いて縁起の良い夢を見ようとするもので、江戸時代に人気を博した「夢枕」を復元したものです。「吉夢」は2種類あり、「宝船」と「七福神宝船」が用意されており、いずれも初穂料は500円です。初詣の際に「吉夢」を授かりに訪れる参拝者も多く、良い夢を見て新年を迎えたいと願う方々に親しまれています。
拝殿
稲荷
授与所
年末年始に「吉夢」提灯出現
年末年始には、妻恋神社の通りに「吉夢」の提灯が設置されます。年間通してやってもいいくらい雰囲気が出ます。
吉夢(よいゆめ)
原画は平岩洋彦氏で、宝船は平成25年奉納され、七福神は平成26年奉納されました。
宝船
七福神宝船
吉夢の説明文
妻恋神社の縁起・説明文
日本武尊は、「古事記」や「日本書紀」に登場。体格もよく武力に優れていた日本武尊は、景行天皇より命ぜられ、日本(まだ日本とは呼んでいなかったが)の全国統一を目指して、西や東を平定していった。
東方十二道の荒ぶる神や賊の平定のため東へと旅だち、東京湾を走水(はしりみず)の渡り(現横須賀市)から千葉に向けて船で渡る時、途中暴風雨に遭い、船はもてあそばれ沈みそうになった。同行の妃・弟橘媛命が「夫の身代わりとして海に入り、海の神の心を鎮めましょう」と、「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも」(焼津で自分を守ってくれた尊への思い)と詠んで海に身を投じた。
海は鎮まり、尊は房総に上陸ができ、東国を平定し、大いに勲功をあげることができた。
帰路、上総の国碓日嶺に登り東南の方を望み「吾妻者耶(あづまはや)・・・・・」と恋い慕いたもうたとの意を取って「妻恋明神」と号した。
当神社はその時の行宮(あんぐう)(野営陣地)の跡と言われてる。
「あづまはや」から関東のことを「あづま・あずま」というようになったとも。
武尊・倉稲(倉→蔵)から武蔵の国と呼ばれるのも妻恋神社からと言われている。
「ユシマ」は「聖なる水際の地」という意味があり、この地は早くから開かれ、低地では稲作が行われており、五穀の神の稲荷として、妻恋稲荷となった。
往時は虫封じ・癪の「霊告神勅丸」(大柏の葉や薬草を煎じたもの・後に御神符)の神社としても知られ、江戸時代までは伝わっていたが、今は伝わっていない。
戦災で失われていた鈴も昭和52年に戻った。
平成27年12月
絵馬(吾妻はや)
妻恋神社では、「絵馬(吾妻はや)」という独特なデザインの絵馬が授与されています。この絵馬は、神社の起源に深く結びつく絵柄が特徴で部屋に飾るのも素敵です。
妻恋神社の情報