?> 最終更新日:2018年4月 7日 作成日:2018年2月20日 | コメント(2)
中央区立 箱崎公園(はこざきこうえん)吉田松陰像(東京都中央区)
- 中央区立 箱崎公園(はこざきこうえん)HAKOZAKI PARK
- 東京都中央区日本橋箱崎町18-18
- 噴水、砂場、ロッキング遊具、複合遊具、ブランコ、広場
- サクラ、ケヤキ、ヤナギ、クスノキ、サルスベリ、ハナミズキ、イチョウ
- 吉田松陰像
- 水天宮前駅徒歩6分、茅場町駅徒歩10分
東京都中央区日本橋箱崎町18-18にある「中央区立 箱崎公園(はこざきこうえん)」は、水天宮前駅徒歩6分、茅場町駅徒歩10分の場所にあります。
噴水、砂場、ロッキング遊具、複合遊具、ブランコがあり大きな広場もあります。
植物は、サクラ、ケヤキ、ヤナギ、クスノキ、サルスベリ、ハナミズキ、イチョウがあり、桜の季節は桜がとってもキレイに咲きます。
箱崎公園の中には吉田松陰像があり、吉田松陰先生が好きな方や幕末が好きな方も行くと楽しめます。
吉田松陰像
箱崎公園の中に吉田松陰像があります。箱崎公園に行くまで吉田松陰像があることを知らなかったので驚きました。
吉田松陰像は、竹山蘭山さんにより作られ、台座の「松陰先生」の文字は揮毫されてます。
箱崎公園のこの場所に吉田松陰先生が活躍したということではなく、この場所にあった旧東京市箱崎尋常小学校の6年生「岩井光子さん」が病気でなくなった時に吉田松陰像を立ててくれるよう遺言で残しました。
すごくステキなストーリーがあり、廃校となった今でも同じ場所で吉田松陰像は見守り続けてます。
現在の水天宮ピットの場所が、旧東京市箱崎尋常小学校として使われていた昭和12年(1937年)の末、当時6年生の児童であった岩井光子さんが病気で亡くなった。
光子さんは成績優秀なうえ、特に吉田松陰の生き方に深く感銘を受けており、亡くなる前に自分の貯金で、学校内に吉田松陰の銅像を立ててくれるよう両親に遺言を残した。
両親は生活が苦しい中でこの遺言を実現し、昭和13年(1938年)3月22日に除幕式が盛大に催された。当時この話は教育美談として東京日日新聞に表彰され、時の文部大臣や東京市の関係者など多数が参列した。吉田松陰像は竹山蘭山が製作するとともに、話に感銘を受けた当時の海軍大将高橋三吉が台座の「松陰先生」の文字を揮毫した。
昭和19年(1944年)4月、小学校は全自動が戦火を逃れるため疎開したのち廃校となったが、吉田松陰像は同じ場所で日本橋箱崎町の変遷を見守り続けてきた。
平成22年度に都立日本橋高校の移転と箱崎公園改修工事にあわせ、吉田松陰像をこれまで以上に町の方々に親しんでいただくため、この場所に移設することとなった。
平成23年(2011年)3月
箱崎公園の桜
箱崎公園の中
中央区立 箱崎公園の情報
住所 | 東京都中央区日本橋箱崎町18-18 |
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遊具等 | 噴水、砂場、ロッキング遊具、複合遊具、ブランコ、広場、吉田松陰像 |
植物 | サクラ、ケヤキ、ヤナギ、クスノキ、サルスベリ、ハナミズキ、イチョウ |