最終更新日:2014年12月27日 作成日:2008年6月 5日 | コメント(0)

ニール・ドナルド ウォルシュ:神との友情〈下〉旅は続く光が見える(2000/07)

ニール・ドナルド ウォルシュ (著), 吉田 利子 (翻訳)の本「神との友情〈下〉旅は続く光が見える」
上下で1つの作品になります。
神との友情〈上〉道が見える旅が始まるのページ

神との友情〈下〉旅は続く光が見えるの説明文(amazonより)

「神との対話」は、はじまりに過ぎなかった。神と対話する以上のことが可能だろうか? 神と友情を結ぶことは可能か? 「個人史」の一端を語り、神との友情とは何かを著者の人生を通じて知らせる。

神との友情〈下〉旅は続く光が見えるの目次

純粋な愛を表現するとき、あなたは真の自分自身を自分に体験させる。ひとに贈り物を与えているように見えるが、じつは自分自身に与えている。なぜなら、他者はいないから。いるように見えるだけだ。
今日は新たな日だ。新しい時だ。あなたは新しい選択をする。わたしと新たな個人的な関係を創造するという選択だ。ついに、神との友情を経験するという選択だ。
心は魂から精神への廊下だ。魂の喜びは、心を通らなければならない。感情は魂の言葉だ。精神を閉じていたら、心に滞留してしまう。喜びは生命の表現だ。生命のエネルギーの自由な流れ、それが喜びだ。
二一世紀は目覚めのとき、内なる創造者との出会いの場になるだろう。多くの存在が神との一体化、すべての生命との一体化を経験するだろう。
あなたがたが考え出したいちばん重い罰とは、愛を与えないことだ。子供に、「こんな態度をとったら愛してやらない」と言う。愛を与えたり、とりあげたりして、子供をしつけ、矯正し、支配し、つくりあげようとする。
自分の人生を語るのはいいが、それにとらわれてはいけない。自分がそうだったと考える自分だ。真の自分ではない。それを真の自分を思い出すために活用するなら、賢明な使い方だ。〔ほか〕

神との友情〈下〉旅は続く光が見えるのレビュー

語りなさいということで「わたしたちはすべて一体である。」「わたしたちの道がすぐれているのではなく、ひとつの道だというに過ぎない」というのは、確かに色んなところで語る方がいいですね。
一回読んだだけでは完全な理解というのは難しく、神との対話同様、もう一度最初から読むと新たな発見が再度あるように思えます。

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