最終更新日:2014年12月27日 作成日:2007年12月27日 | コメント(0)

宮本武蔵決闘の場(兵庫県佐用郡)

兵庫県佐用郡にある「宮本武蔵決闘の場」
宮本武蔵決闘の場

宮本武蔵決闘の場の説明文

宮本武蔵決闘の場(みやもとむさしけっとうのば)

剣豪武蔵は、天正12年(1584)に母・於政と死別、その後、父・無ニ斎(むにさい)が、利神城主・別所林治(べっしょしげはる)の娘よし子を後妻に迎えたので、武蔵はこの義母に育てられた。武蔵7歳の時、父が死去、義母は武蔵を残し平福に帰り、田住政久(たずみまさひろ)の後妻となった。武蔵は、義母の後を追い、その叔父正連庵(しょうれんあん)の道林坊(どうりんぼう)にあずけられ、薫陶をうけ、道林坊の弟・長九朗(ちょうくろう)に武芸を学んだ。
武蔵13歳の時、「何人なりとも望みしだい手合せいたすべし。われこそ日下無双兵法者なり」という、新当流の達人・有馬喜兵衛(ありまきへえ)の高札を見て、ここ金倉橋のたもとで初勝負をいどみ、一刀のもとに倒したといわれる。
(五輪書序文にこれを述べている)

場所

道の駅「宿場町ひらふく」から歩いてすぐ。
もしくは、智頭急行 平福駅からも歩いてすぐ。

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