最終更新日:2014年12月27日 作成日:2007年9月27日 | コメント(0)

書写山圓教寺(兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市にある書写山圓教寺に行ってきました。

書写山圓教寺の説明文(Wikipediaより抜粋)

兵庫県姫路市にある寺院。天台宗別格本山。山号は書寫山(書写山、しょしゃざん)。 西国三十三箇所第27番および播磨西国三十三箇所第1番札所。

書写山圓教寺の説明(Wikipediaより抜粋)

「西の比叡山」とよばれるほど寺格は高く、西国三十三箇所中最大規模の寺院で、比叡山、大山とともに天台の三大道場と並び称された巨刹である。京都から遠い土地柄でありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇・法皇も多かった。
境内は、仁王門から十妙院にかけての東谷、摩尼殿を中心とした中谷、三つの堂のある西谷に区分される。伽藍がある書写山(標高371㍍)山上一帯は特別鳥獣保護区に指定されている。
山内の本多家霊所には本多忠刻に仕え、殉死した宮本武蔵の養子宮本三木之助の墓がある。 室町時代から明治時代までは女人禁制だったため、女性は東坂参道の入り口にある女人堂までしか行けず、そこに札を納めて帰っていた。
2003年公開のハリウッド映画『ラストサムライ』の主なロケ地になり、2003年のNHK大河ドラマ『武蔵』の重要なロケ地にもなった。
書写山の山上にあり、966年(康保3年)、性空上人の創建。性空上人を奉る開山堂のほか、大講堂、常行堂、食堂(じきどう)などが残る。986年(寛和3年)には、天皇の座を退位して出家した花山法皇が御幸、円教寺の寺号が与られた。花山法皇以外にも、後白河天皇・後醍醐天皇など多くの皇族が行幸、また勅願により建物の改築・改修、建立がおこなわれている。「円教」という寺号には、輪円具足を教えるという意味がある。円の形は徳において欠けたところがなく、人間として最も成就した状態を象徴していることから、自己完成の道を教える寺ということになる。 また、武蔵坊弁慶は一時期「書写山」で修行したとされており、机など、ゆかりの品も伝えられ、有料公開されている。ただし史実である確証はない。 一遍、一向俊聖、国阿ら時衆聖らが参詣したことでも知られる。一遍は入寂直前に書写山の僧に、聖教を預けた。

駐車場に到着後、ロープウェイ

書写山圓教寺に行こうと決めたものの適当に出発
携帯電話の助手席ナビで目的地に向かうが、どこが駐車場かわからなかった。
カーナビで行く際は「書写山ロープウェイ 079-266-2006」で検索するようです。
ロープウェイに乗るには、片道か往復の選択ができ、行きか帰りは徒歩での利用もできます。
紅葉シーズンは、混雑します。
書写山圓教寺 ロープウェイからの風景

慈悲の鐘

ロープウェイから降りて入場料金を払ってからすぐにある「慈悲の鐘」
こういうのを見るとついつい叩いてしまいますね。
書写山圓教寺 慈悲の鐘

千手観音像

歩いているとところどころに設置されている「千手観音像」
この像だけはあまりの手の多さに驚きました。
本当に手が1000本くらいありそうな感じです。
書写山圓教寺 千手観音像

山の上からの風景

播磨灘を一望するのもいかがですか。
書写山圓教寺 山の上からの風景

仁王門

立派な門です。もうちょいって感じがします。
書写山圓教寺 仁王門

壽量院

立札より説明文抜粋
国指定重要文化財(昭和31年6月28日指定)
江戸時代

圓教寺の塔頭の一つ。承安四年(1174)に後白河法皇が参籠したという記録が残されており、山内で最も格式の高い塔頭寺院として知られている。
建物の構成は、仏間を中心として中門を付けた書院造風の部分と、台所を設けた庫裏とに区別され、唐破風の玄関を構えて両者をつないでいる。当時の塔頭寺院としては極めて珍しい構成で、圓教寺型ともいえる塔頭の典型である。
壽量院

十妙院

立札より説明文抜粋
兵庫県指定文化財(昭和40年3月16日指定)
本尊 等身千手観音菩薩

天正七年(1579)正親町天皇により「岡松院」の勅号を賜った。これは、赤松満祐がわずか十六歳で亡くなった女の冥福を祈るために建てられたものとされる。
圓教寺第百六世長吏實祐の住坊となり、實祐を中興第一世とする。
その後同じく正親町帝より「十妙院」の勅号を賜った。塔頭壽量院とは左右逆であるが、ほとんど同じ平面構成をもつ圓教寺独特の塔頭形式である。
十妙院

摩尼殿に到着

摩尼殿のあまりにも立派だったのに驚きました。
秋の紅葉シーズンになると、紅葉を見ながら摩尼殿が見れます。
書写山圓教寺 摩尼殿 摩耶殿と紅葉

摩尼殿を下から眺める

木の組み立てでここまでのものができるんですね。
書写山圓教寺 摩尼殿

摩尼殿の入り口

入り口も木で感じがでています。
書写山圓教寺 摩尼殿の入り口

摩尼殿の中 お手を合わす場所

お賽銭をいれて、鐘を打ちましょう。
書写山圓教寺 摩尼殿のお手を合わす場所

摩尼殿の中 奥にある像

すごく気になった像です。
書写山圓教寺 摩尼殿の像

小さなお地蔵が沢山

小さなお地蔵が沢山並んでました。
めちゃくちゃ可愛い!!!!
ここは、摩尼殿の下の通路から行くと見れます。
坂がかなり急ですが、、、
書写山圓教寺 小さなお地蔵が沢山

地蔵の頭

瑞光院(?)

多分瑞光院だと思うのですが、、、
書写山圓教寺 瑞光院かな?

大講堂

ここがラストサムライで使われた場所かなーーー。
書写山圓教寺 大講堂
大講堂と紅葉

常行堂

ここがラストサムライで使われた場所かなーーー。
書写山圓教寺 常行堂

食堂

ここがラストサムライで使われた場所かなーーー。
ここの中にはいるのは有料です。
書写山圓教寺 食堂

開山堂

奥にある建物ですがここも見たほうがいいくらいの建物です。
書写山圓教寺 開山堂

護法堂

二つ揃って護法堂
書写山圓教寺 護法堂

弁慶鏡井戸

立札より説明文抜粋
書写山には弁慶が少年時代を過ごしたという伝説があり、この鏡井戸や勉強机が今に伝えられている。昼寝をしていた弁慶の顔に、喧嘩好きな信濃坊戒円がいたずら書きし、小法師ニ、三十人を呼んで大声で笑った。目を覚ました弁慶は、皆がなぜ笑っているのかわからない。弁慶は、この井戸に映った自分の顔をみて激怒し、喧嘩となる。その喧嘩がもとで大講堂をはじめ山内の建物を焼きつくしてしまったと言われている。
弁慶鏡井戸

和泉式部の歌塚

立札より説明文抜粋
「暗きより
  暗き道にぞ入りぬべき
    遥かに照らせ 山の端の月」
性空上人の教えにふれようと、書写山を訪れた平安期の代表的女流歌人・和泉式部が、居留守を使われたときの無念さを歌にしたもの。
弟子から様子を聞いた性空は、この歌にひどく感動して、急いで一行を呼び戻し、この歌を返した。
「日は入りて
  月まだ出ぬたそがれに
    揚げて照らす 法の灯」
歌塚には鎌倉初期の「天福元年十月二十六日」と刻まれている。
和泉式部の歌塚

松平直基の墓所

松平直基の墓所がこんなところに、立派な墓所です。
書写山圓教寺 松平直基の墓所

大仏

あ、こんなところにも大仏が!!!
書写山圓教寺 大仏

塀とコケ

なんか塀にコケがついており、この風景が気に入りました。
塀とコケ

紅葉の写真

書写山圓教寺内の紅葉

摩耶殿と紅葉

書写山圓教寺内の紅葉

書写山圓教寺内の紅葉

大講堂と紅葉

書写山圓教寺内の紅葉

書写山圓教寺内の紅葉

書写山圓教寺内の紅葉

書写山圓教寺内の紅葉

書写山圓教寺の所在地

所在地
〒671-2201 兵庫県姫路市書写2968  TEL.050-3532-2379 [IP電話]
TEL.079-266-3327
FAX.079-266-4908

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